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最近本当に落ち込むことや下らないことが多すぎて、自分が映画とか音楽をひたすら見たり聞きまくったりしてるのすら果たして何のためなのか、はっきり言ってよくわからなくなっていたのだけれど、そんな状態で観たベロッキオの『夜よ、こんにちは』には大いに勇気づけられた。映画とはフィクションとは、決して現実の模造品や劣化コピーなどではなく、それ自体が現実と対比されるべき存在として我々に迫ってくるものであると言わんばかりの本当に素晴らしい作品。ラストでピンク・フロイドが流れる映画は名作ですね。

餌食・ポケットの中の握り拳

爆音映画祭で『餌食』と『ポケットの中の握り拳』を観る。バウスシアターへ行くのもこれが最後。

『餌食』はこれがもうとにかく最高で、マトゥンビやピーター・トッシュによるキラー・チューンがデカい音で鳴り響く中(79年という、ポスト・パンクの連中によってレゲエ解釈が行われていくのとほぼ同時期にこの作品を撮るという若松孝二の同時代性!)でボロッボロに退色したフィルムを観るという行為自体が贅沢。ニューシネマ(個人的にはバイクで駆け抜けるシーンで『サンダーボルト』を想起)のようなクライマックスと若松孝二の怒りがスクリーンに爆裂するかのようなラストにただただ唖然。

『ポケットの中の握り拳』はヌーヴェル・ヴァーグなのかネオレアリズモなのか、もうなんだかよくわからないのだけれど、ひたすら狂った人物が動き続けるという凄まじい作品で、その瑞々しくて強烈な動と静の前では神も国家も平伏すしかない。まさに「神をも畏れぬ」という形容詞はこの作品のためにあるかのようだった。アクションの素早さと動き回るカメラワークというスタイルの美しさもさることながら、フィルムに焼き付けられた若きベロッキオの不遜な態度にこそ感動せずにいられない。

ナマで踊ろう

ひとまず歌詞カードを読みながらインストの方だけ聞いている。マキュウのアルバムとかでもよくやったけれど、この後にインスト盤じゃない方を聞くと意外と新鮮な感覚があって楽しい(はず)。が、なぜかこれが逆になると単なる歌抜き音源にしか思えないのである……。