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ジャージー・ボーイズ

これに関してはもうもしまだ見ていないのであれば、とにかく劇場に走って駆けつけて見て下さいよとしか言い様がない。映画には面白い面白くないという基準があってそれは重要だとも思うけれど、このクリント・イーストウッドの最新作はそういった物差しをはるかに超えたところに超然と存在するものでつまり、映画というものの圧倒的な正しさに満ち溢れているように感じられた(いや当然のように面白いんだけれど)。丁寧に登場人物に寄り添い厳正に時には冷酷に見つめながらそれぞれの視点で語らせることによって、フォー・シーズンズというバンドのまあよくある栄光と挫折、復活というお話をあくまでヒーロー的な神話としてでなく、青春とその先にある「よくある話」として、しかし美しく描き切ろうとする……この誠実さよ!『君の瞳に恋してる』が流れてからラストまでひたすら号泣しっぱなし。個人的には、この大きなことを書いてるようで実は幼少期から一緒に過ごしていた男たちを描いているに過ぎないという世界にチミノ的なものを感じてそこが無性に好きなんだけれど、これは老いたクリストファー・ウォーケンのダンス(『君の瞳に恋してる』!)に引っ張られすぎてるのかもしれない。あと平日昼間に見に行ったせいで周りがみんな老人だったのですが上映後「良かったわね~」とか声掛けられて大変でした。こっちは涙を拭うのに忙しいというのに!

東京パフォーマンスドール

最近ひたすらリリースイベントに通い握手へ行くというルーチンを繰り返していて、もちろんそれはそれでめちゃくちゃに楽しいのだけれど、ミニライブが『We are TPD』~『十代に罪はない』から始まり、ダンスサミットで2曲やって『Brand New Story』から新曲、という小さくおさまった印象すらある一つのショウケース的なものであるため(それは一見さんを呼び込んだり、あるいはふと興味を持ち無料で見てみようという人たちに東京パフォーマンスドールの魅力を伝えるための最良の提示だろう)彼女たちの爆発的な魅力というものを忘れかけていたのも事実。なので先日のduoでのライブは久しぶりに初期衝動というかやっぱり彼女たちはライブが凄まじいのだなという気持ちを思い出せて最高に楽しかった。というか今の彼女たちをライブハウスで至近距離で見られる時には決して見逃してはならないというレベルに達していると言い切りたい~。

さゆりんごピンチ

まず22歳で恋愛とか色々したい年頃の女の子に(女の子の気持ちのことなんて本当はまったくわからないが、自分のレベルで考えてみると、はっきり言って22歳の時は性欲に関しては無限にあった)恋愛禁止なんてことを強いるのが我々の中で何か当たり前の共通ルールとなっていて、いつのまにやらそれがシステムとなって存在してしまっていて、そしてその存在でオタクが安心するとかは特に無いくせにダメージを受ける人というのは絶対に存在していて、それは俺たちの好きなアイドルたち本人ですよね、ってことを俺たちはもう一度考えてみるべきではないだろうか。で、例えばこういう話について俺たちが取りうる最大限誠実な態度の一つとして、ガハハ!と笑い飛ばしてバカだな~ま、しょうがないな~と思いながらアイドルの虚構性を愛し続けるっていうのはそれなりに有効だと思うんだけれど、しかしこうした視線というのは案外複雑なもので、誰もが取りうるわけではない。複雑さに耐え切れなくてアイドルというものを単なる清純だとかそういったイメージの表象として受け取っていこうとしかしない人にとってそれは仕方がないことなのかもしれないけれど、というか落ち込むとかはわかるし俺もショックだけど、それが攻撃性に転化してしまうというのはどうも……。

こういう時に裏切られた!という人がたまにいるけど、よくわからない。アイドルの人たちが言ってる「ファンの人が大事」って言葉や態度と、男と付き合う行動っていうのは矛盾するものではないと思うからだ。彼女たちが「ファンの人が大事」と言うならばそれでいいじゃないか、というかそもそもそれ以上を望むことなんて出来るのだろうか?オタクとアイドルという関係性だからこそ、わからないことはわからないしわからせようとしているところをわかっていければそれでいいという割り切りが必要なのではないかとまあつまらない結論に至ってしまうのである。

ただ今回の件に関して一つ絶対的な真実として言えるのは男がクズであるということで、いやいやノートにやりたいこと100個書けば実現するとか言ってる男より『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の宇宙世界におけるアナログな響きが人間性を想起させる所に感動するだとか、プリンスの新譜の1曲目にレゲエホーンが入ってて卒倒するかと思ったみたいな話ばっかしてくる男の方がいいと思いませんか。どうでしょう、よろしくお願いします。