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天国の門

DVDで見られるのに映画をなぜ劇場で見るのか?ソクーロフなんかはテレビは人の作った光で映画は神の作った光なんてことを言ってるけれどそういうよくわからない話を置いても、やはり映画館で見る映画というのは明らかにDVDで見るそれとは違う。大画面・大音量とかそういうレベルではなくて経験の質としてまったく異なると思う。恐らく映画を劇場で見ることの一回性というのは確かにあって(それは演劇のそれとは違うのだけれど)、むしろ興行としての映画の出自を省みるとその再演可能性とはまた別の次元で存在している、まさに映画という(滅び行く)映像メディアだけが持っている特性にして特権のように思える……。

ということをつらつらと考えるようになったのは先日バウスシアターで観た『天国の門』があまりに素晴らしい体験であったからだ。あの映画は映画史的な側面からも作品単体の美術的な側面からも、映画館で観る以外の体験はありえないものと断言したい。序盤、クリス・クリストファーソンの顔に電車の窓から漏れ込む光が挿し込むカットを見てしまうと映画における光とはやはり(カトリック教会に挿し込む光がそうであったように)神の作った光なのではないか……などと大袈裟でロマン主義的なことを考えたくなる。

アイドルとスキャンダル

「アイドルが読モと付き合った」程度の本当に下らない、この世で一番どうでもいい事柄に対して、道化のようにおどけながらもわざとヒステリックに振る舞う人々の反応を見ていると、この文化が世界で一番下らなくて恥ずかしいことのように思えてくる。そうなると自分のスタンスとして、自分はただ音楽と運動を愛しているのですよ、なんてことを強調したくもなる。いやまあこの姿こそまさに凡庸なんでしょうけれど……。いつものことですが自意識のレベルに落としこんですいません……。あー恥ずかしい。