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とりあえずゴタゴタが終わったので、最近は本を読んだり映画を見ていたりしている。コーマック・マッカーシートマス・ピンチョンの未読(まあ既読の方が少ない体たらくであるのだが……)のやつをダラダラと読んだり、増村保造の激しい人間賛歌に胸を打たれたり80年代イーストウッドのB級作家感に安堵したり……。そんなどうしようもない毎日を過ごしております。

で、『エロ将軍と二十一人の愛妾』『徳川セックス禁止令 色情大名』を新文芸坐で見てきた。前者は初見。エロとグロと笑いと反権力が同じ熱量で、同等に敬意を払われ、描かれているという点でまあ素晴らしい。それとこの時代の東映特有のものなのか画作りを越えた所で渦巻いているかのような熱気と映像的な拘り(特に『エロ将軍と二十一人の愛妾』でのラストの360度パンには唖然!)が重なることで凄まじいまでの魅力を放っているように思えた。しかし『徳川セックス禁止令 色情大名』の音楽の良さは一体なんなんだろうか。花火が打ち上げられながらの凄惨な切腹シーン(そういうシーンがあるのです)に洒脱なフュージョンがかかり、夢想レズのシーン(そういうシーンがあるのです)でモンド歌謡がかかるというわけのわからなさなんだけれど異様な説得力があるという……。この時代の東映で言えば実録路線や女番長シリーズでのファンキーなジャズとは一風異なる艶やかなタッチが映画全体のどこか夢見心地の質感に繋がっているような気がする。しかしこういった映画がゴールデンウィーク封切作品としてお金をかけて作られていたという時代がこの国にもあったのだなあと、今では失われてしまったものの大きさに悲しくなったりもしました。