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下らないものや価値のないものに価値を見出す、というアイロニカルな視線でアイドルを消費することがクールだと思っている勘違い人間なので、そうした視線すら飲み込むキャピタリズムの猛威と、アイドルがあたかも価値ある素晴らしいものであるかのような昨今のムードには食傷気味というかつらい。

Ghettoville

ズブズブでスモーキーなディストピアを夢見るエレクトロ・ファンク。評価がそれほど芳しくないのは『R.I.P.』や『Splazsh』にあった展開の多様性やハッとさせるアイディアなど気の利いたところが軒並み失われているからか。確かに"Machine and Voice"のファンキーなビートや"Always Human"や"Crushed"のようなキラーなマシン・ソウルはないし、『R.I.P.』で見られたエクスペリメンタルなアンビエントもない。ただただ灰色の世界観における抑圧された躍動の響きが繰り返される本作は喩えるならば終わることのないダーク・トリップの絵巻物だが、しかしその怠惰やくぐもった憂鬱が心地よいと思える人間にとっては決してつまらないものではない。

アプガ中野サンプラザ

そのカードをここで切ってくるかー。キャパ的には大丈夫そうですがそれが終わったあとの目標設定が気になる……とか思ってしまったところでまだまだアイドルの物語性を楽しむ余裕が自分にあることを確認する。いや、楽しみです。でんぱ組があっという間にインディーを超えて同時にそこにあったある視線が摩耗していく姿や、BiSがロック的な価値観に取り込まれていく姿を見ていると、未だにハロプロの影と共にくすぶっている状況は彼女ららしくて本当に良いと思う。いつの時代もスターに『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』が如くであってほしいというのはオタクの悪い願望だけれど。